天邪鬼と糖分 ‪@Asahi_Hotaru ‬

糖分を欲している天邪鬼によるブログ

テレビ業界がロックを迎合している

 

 

 

9月に入りましたが、

 

 

未だにSunny Day Sundayが鳴り響くぐらいには8月感が強めです。

 

 

 


アサヒです。

 

 

 

 


社会人として5ヶ月が過ぎたわけだが、

 

 

 

大した話題も無い日々が続いている。

 

 

 


強いて言うなら、

 

 

 

【2018年に入って既に4人も退職した事】

 

 

 

 

ぐらいだろうか。

 

 

 

 


それは、一旦、置いておいて。

 

 

 

 

 

 

 

 

あっ、

 

 

 

 


やばい!

 

 

 

 

 

 

置いたエピソード盗られた!!

 

 

 

 


だっ、

 

 

 

 

 

誰か!

 

 

 

 

 


誰か、私がここに置いたエピソード知りませんか?

 



 


やばい!

 

 

 

 

 

確実に盗られた!!

 

 

 

 

 

 


って、

 

ほざいてしまうぐらいには、まだ余裕があるっぽい。

 

 

 

 


この調子で残りの4ヶ月もやっつけよう。

 

 

 

 

 

 

 

さて。

 

 


振り返ると、夏らしい事をした記憶が無い。

 

 

 

 

夏男 a.k.a TUBE・前田亘輝ガッカリである。

 

 

 


唯一した事と言えば、

 

 

 

 

 


TOKYO IDOL FESTIVAL 2018(3日目)

 

 

 

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ROCK IN JAPAN FESTIVAL(3日目)

 

 

 

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と、いわゆる夏フェスに参加した事ぐらい。

 

 

 

 


夏の野外で酒を飲みながら嗜む音楽極上のエンターテイメントだとつくづく思う。

 

 

 

 


そんな、アイドルが好きで、ロックが好きな私だが、

ここ最近の音楽(特にロック)とテレビのあり方には違和感を覚えている。

 

 

 


ここ数年、世間一般で言うところの音楽番組(◯ステや各局の長時間特番)にロックバンドの露出顕著になってきた。

 

 

 

 

 

前提として、

 

 

 

 

【お茶の間に自分たちの音楽を届ける】

 

 

 

 

 

という意味では、これはアーティストにとって大切なプロモーションであり、明確な意味のある事だ。

 

 

 

 


これに関して、出演という観点から考えると、

 

 

 

アーティストや所属事務所、レーベルといった諸々の意向を含めての判断であるため、この部分は今も昔も大して変わらない様に見える。

 

 

 

おそらく、ゴールデンの音楽番組に出ることを目標にしてるアーティストも居た訳で、おそらく、今も居るはずである。

 

 

 

 

同じように、音楽番組へ出演することにこだわらず、寧ろ地上波で表立ったパフォーマンスを毛嫌いするアーティストもいた訳で、今もそのような信条を持つ者も少なからず居るはずだ。

 

 

 

 

 

つまり、これに関して言えば、今も昔も変わらないものと言えよう。

 

 

 

 

そうではなく、私の中にある違和感というのは、

 

 

 

テレビ業界がロックへ擦り寄っている構図への不自然さ

 

 

 

である。

 

 

 

「どうせ、流行りの音楽でも流しておけば、視聴してくれるであろう」感が年々強いように見受けられるのだ。

 

 


アーティストのプロモーションとしてのコンテンツではなく、

 

 

 

どこか、外部要素であるシンボル的な部分に価値を見出して出演を決めているように感じられるのだ。

 

 

 

実際のところ

 

 

 

アイドル的マスコット的なロックバンドが増えているようにもみえる。

 

 

 

(Ex. ……、各々が想像するロックバンドにお任せ)

 

 


勿論、

 

 

 

自分の好きなロックバンドを画面越しで見ることができる視聴者の需要

 

 

 

 

 

 

プロモーションとしての価値を最大限に引き出すため、ゴールデンタイムで出演をさせたいという出演者サイドの供給

 

 

 

 

 

 

があるため、

 

 

 

この構図は数年後も変わらずにあり続けるだろう。

 

 

 

ただ、こうした構図を見ていると、

 

 

 

 

本来、社会や政治、文化への反骨さ不服さといった概念を反映したはずのロックの本質が何故か逸脱し、それに群がるような形でテレビ業界全体がロックンロールを迎い入れているような気がしてならないのだ。

 

 

 

そして、それに、何の躊躇いもなく飛び込んでしまうロックという存在が滑稽に見えてしまう。

 

 

 

 

それが、私の中の違和感であり、気味の悪さだ。

 

 

 


未だにテレビの力を借りることなく、ライブハウスで音楽を鳴り響かせるアーティストがカッコ良く見えてしまうのは、

 

 

 

 

単純に私が歳を取ったからなのだろうか。

 

 

 

 

 

 


そんな、楽器歴が中学のアルトリコーダーで止まっている男の戯論。

 

 

 

 

p.s.

 

 

 

 

 

ん?

 

 

 

 

 

あっ、

 

 

 

 

 

あった!

 

 

 

 

 

ここに、

 

 

 

【2018年に入って既に4人も退職した】

 

 

 

っていうエピソードあった!

 

 

 

 

 

ありました!!

 

 

 

 

 

 

 

 

うん。

まだ、やれるっぽい。