天邪鬼と糖分 ‪@Asahi_Hotaru ‬

糖分を欲している天邪鬼によるブログ

岡村隆史失言騒動に覚える違和感

 

今年のゴールデンウィークはいつも以上に何もせずに終わりました。

 

 

 

アサヒです。

 

 

 

毎年ただでさえ何も無いゴールデンウィークだが、今年はもっと味がしないものだった。無味無臭である。

例えるなら、昨年は真っ白のキャンバスを白い絵の具で染め上げて「無」というタイトルの作品だったが、今年は真っ白のキャンバスのまま「概念」というタイトルの作品のようなもの。それぐらいに何もない。

 

強いて言えば相変わらず競馬で負けていることぐらい。それでも、美味いもん食って寝てしまえば忘れてしまう。相変わらずたちが悪い話だ。

私に言わせてみれば競馬の負けなんて、かさぶたのようなもの。傷ついたところはかさぶたになるし、何度も何度も傷ついたところはどんどん厚くなる。気づけば体の一部にすらなってしまう。一度競馬で負けて感じる喪失感も何度も味わえばだんだん麻痺していくのだ。そして、どこかで当たれば脳内にドーパミンが分泌され、その快楽を再び味わおうと再び賭けてしまう。競馬とは実に厄介である。

まぁ、そもそもこんなもん負けた内にすら入らないのだが(競馬カス)

 

さておき、今は家にいる時間が増えて今まで以上にラジオを聴くことが増えた。

この歳で未だに時間を割いてちゃんと聴いているのは「伊集院光 深夜の馬鹿力」と「オードリーのオールナイトニッポン」ぐらい。中学時代からラジオを聴くようになった私だが、ここ最近は歳のせいかラジオを聴く頻度がだんだん少なくなってきた。しかし、ことこのゴールデンウィーク期間中は一層聴くようになったのである。

聴くと言っても、ただただ番組を垂れ流している状態。何か特別番組を決めて聴くというよりも、何かしら作業する上でのBGMとしてのラジオである。

そんな中で、私は「ナインティナイン岡村隆史オールナイトニッポン」を聴いていた。

 

前にもあるが、私は特定のラジオ以外はここ数年ほとんど聴いていない。もちろん、この番組自体は過去に聴いたこともあれば、前身番組である「ナインティナインのオールナイトニッポン」も聴いたこともある。しかし、頻繁に聴いているわけではない。おそらく、ごく普通のリスナーよりも聴く頻度は少ないだろう。たまたまタイミングが合った時、睡眠導入BGMに近い感覚で聴いている。

 

そんな私だが、岡村さんが不適切な発言をされた日の放送をリアルタイムで聴いていた。いつもどおりの楽しい放送が耳に入っていた記憶である。正直、実際に岡村さんの一連の不適切な発言をリアルタイムで聴いていて、私自身は特段何か感じることはなかった。大層なことを言ってることにすら気づかなかったぐらいである。まさか、ここまで燃え上がる炎の火種になるとは予期していなかっただろう。

 

世間では謝罪及び番組の降板をを求める署名運動が繰り広げられ、連日のワイドショーでもこの話題を取り扱っている。

その後、岡村さんは2週続けて矢部さんと一緒に放送し、ことの発言の謝罪から発言に至るきっかけになるような言動、矢部さんの叱責、そして2人の過去を懐かしむような思い出話がされた。

 

 

 

正直、私はこの一連の流れから違和感しか覚えていない。

 

前提として岡村さんの発言は許されるものではなく、特定の人を傷つけてしまったのは事実である。勿論、法を破ったわけでも罪を犯したわけでもない。ただ、1人のコメディアンとして、1人の人間として悲しませるような言動はあってはならないと思う。

 

しかし、謝罪及び番組の降板を求め署名する人たち及び署名を求める人たちは岡村さんに一体何を求めているのだろうか。そもそも、岡村さんが番組を降板することで一体何が変わるというのだろうか。

 

この問題の本質は今回のコロナ騒動によって明るみになった弱い立場の女性が未だ多くいるということを世間が改めて認知すること。そして、こうした弱い立場にいる女性に対して何ができるかを考え、社会がより良い方に動くよう今以上に声を上げていくことではないだろうか。

結局、この発言をした岡村さんが番組を降板することで、この問題そのものが解決し、弱い立場にいる女性たちに光が差すとは私自身到底思えないのである。

 

 

私から見れば、そもそも深夜ラジオなんて宗教みたいなもの。もはやリスナーにとって発言している人は絶対であって神様なのだ。

特に「ナインティナイン岡村隆史オールナイトニッポン」はオールナイトニッポン史上歴代最長記録を更新し、もはや深夜ラジオとして今日に至るまで確固たる地位を築き上げてきた。その歴史の長さから見れば、信者である多くのリスナーにとってこの番組は熱狂できる唯一無二の場所である。リスナーはラジオから溢れ出す岡村さんの気持ちが痛い程分かる。信者は教祖の発言に耳を傾けることでシンパシーにも似た感覚を得るのだ。この感覚は信者にしか分からず、信者にとっても信者以外の人間に分かってもらおうなんて微塵も思っていないだろう。

 

おそらく、岡村さんの謝罪や番組の降板を求め署名している人や署名を求めている人たちは深夜ラジオが持つ独特の空気感すら感じたことがない。深夜ラジオという文化に耳を傾けたことすら無い人がほとんどだ。いわば部外者である。岡村隆史という人間が一体どういう人間なのか、きちんと分かりもせず知りもせずにただただ声を上げているのである。

今まさに起っているのは、岡村隆史という存在を全く知らない人たちが岡村さんとリスナーが長年共に作り上げた大事な場所の破壊行為なのである。

 

 

 

私にはいつしか寄り集まった大きな正義で一つの弱者を袋叩きにしている姿にしか見えなくなっていった。

 

 

岡村さんは多くの人たちを笑わせてきたことも事実であり、岡村さんの笑いに救われた人間も多い。こんなコロナ騒動で閉鎖的な空気が漂う今だからこそ、世の中は笑いを必要としている。

 

 

本来、誰もが間違いをした時、誰もがやり直せるチャンスがあるべきだ。岡村さんは自身の不適切な発言を謝罪した。多少時間はかかると思うが、許せるという懐もどこかで必要になってくるのではないだろうか。

 

 

ここ2週間の放送を聴いていて、未だ少し固さのあるトークの中に岡村さんと矢部さんとの掛け合にはどことなく「ナインティナインのオールナイトニッポン」の雰囲気を感じ胸が熱くなる時がある。

 

いつかまた、素直に笑える放送になって欲しい。今はただそれだけだ。

 

 

 

まぁ、ワーワー言うとります。

お時間です。さようなら。

 

 

 

p.s.ホントにSNSなんていう便利なものができて全く厄介な時代になったものだ。